勝連城跡(かつれんぐすく)

勝連城跡は琉球王国が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した阿麻和利(あまわり)の居城でした。阿麻和利は琉球王国に最後まで抵抗して首里城を攻めましたが大敗し、逆に首里軍に攻められて落城し、勝連城も廃城となったと言われています。

小高い丘の上に、勝連城跡の城壁が見えます
小高い丘の上に、巨大な勝連城跡の城壁が見えます

勝連城跡の標高は約60m~98m。総面積は11,897㎡。城壁は、自然の地形を巧みに利用しながら、石灰岩の石垣をめぐらせており、低いところから順に三の曲輪、二の曲輪、一の曲輪という場所になっています。

三の曲輪 二の曲輪
三の曲輪と二の曲輪

一の曲輪
一の曲輪

一の曲輪から海を望む 一の曲輪から二のの曲輪を見下ろす
一の曲輪から海を望む風景と一の曲輪から二のの曲輪を見下ろす風景。

ちなみに勝連城跡に到着したのが夜明け直前だったので、こんな幻想的な写真を撮影する事ができました。

勝連城跡の夜明け
勝連城跡の夜明け

なお、一の曲輪へ行くには長い石畳の階段を上っていかなければなりませんので、スニーカー等の歩きやすい靴で行くのがオススメです。勝連グスク内の御嶽、拝所についてはまた別の記事で紹介します。

勝連城跡の地図

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