沖縄には数多くの遺跡や自然遺産が存在します。その中で保存状態の良い物や、当時の状態が復元されたものなど、全部で9箇所の遺跡が、2000年12月に『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されました。
2010年1月5日
by マサオ
2010年1月5日
by マサオ
沖縄には数多くの遺跡や自然遺産が存在します。その中で保存状態の良い物や、当時の状態が復元されたものなど、全部で9箇所の遺跡が、2000年12月に『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されました。
沖縄でもっともメジャーな観光地の一つがこの首里城跡です。 世界遺産に登録されたグスクの中でも一際、目立っているのがこの首里城跡で、首里城の建設時期は定かでないですが、尚巴志が琉球を統一した頃には、すでに歴史の表舞台に登場していたとされています。その後、450年近く琉球王国の政治、外交、文化の中心地となりました。 なお、現在の首里城は、第二次世界大戦時にアメリカ軍の攻撃により全焼したものが1992年に復元されたもので、2000 年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されています。 守礼門と歓会門 守礼門が首里城の入り口となります。なお、守礼門と歓会門の間に世界遺産の園比屋武御嶽石門があります。 瑞泉門と漏刻門 漏刻門の正面には日影台があり、那覇の街が一望できます。 日影台と日影台から那覇の街を見下ろした光景 瑞泉門⇒漏刻門⇒広福門と進んでいくと下之御庭(しちゃぬうなー)という場所に出ます。ここには首里城正殿に入るための券売所があります。 広福門と奉神門 奉神門よりも奥が有料エリア(■大人800円■高校生600円■小中学生300円)となります。また、この下之御庭には首里森御嶽(すいむいうたき)があります。 それぞれの門の説明は首里城の公式サイトに掲載されています。 ⇒首里城公園オフィシャルサイト
2009年12月31日
by マサオ
首里城内の広福門と奉神門の間、下之御庭(しちゃぬうなー)という場所に沖縄七御嶽の一つであえう首里森御嶽(すいむいうたき)があります。 首里森御嶽(すいむいうたき) 御嶽の右側にある解説板には、以下のような説明が書いてあります。 首里森(すいむい)とは首里城の別称で、御嶽(うたき)とは沖縄の聖地または拝所のことです。琉球の神話では、この御嶽は神が造った聖地であり、首里城内でもっとも格式の高い拝所の一つです。城内にはここを含めて「十嶽(とたけ)」と呼ばれる10カ所の拝所があったといわれています。 国王が場外の寺社に出かけるときにこの御嶽で祈りをささげ、神女たちが多くの儀礼を行いました。石積内の植物がガジュマルやクロツグです。1997(平成9)年に復元されました。 ちなみに、首里城の中に首里森御嶽を作ったのではなく、首里森御嶽が先にあり、首里城が後から建てられたそうです。 首里城の正殿も素敵ですが、途中でちょっと立ち止まってお祈りしてみてくださいね。
奉神門をくぐると、いよいよ首里城の正殿が見えてきます。奉神門より前の記事はこちら⇒首里城跡(守礼門~奉神門) 首里城正殿は琉球王国最大の木造建築で、その装飾は絢爛豪華です。随所に配置される龍は国王の象徴とされ、大龍柱(だいりゅうちゅう)と呼ばれる一対の見事な石柱や屋根上の棟飾り、唐破風(からはふ)などに33体棲んで(施されて)います。 御庭と正殿(左側は修復中) 御庭で催事が行われている様子の模型 正殿前は御庭(うなー)と呼ばれる広場で、年間を通じて様々な儀式が行われた場所です。 御庭には磚(せん)というタイル状の敷き瓦が敷かれており、色違いの列は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていたそうです。中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者等、限られた人だけが通ることを許されました。 首里城は、南殿⇒正殿⇒北殿の順で見学します。正殿には御差床(うさすか)と呼ばれる玉座などがあり、煌びやかな琉球王国の文化が楽しめます。 御差床1階と御差床2階 1階の御差床の奥に国王専用の階段(おちょくい)があります。国王はその階段を使って2階から御差床に出御するそうです。とても絢爛豪華な意匠で、琉球文化の極みといった印象を受けました。
今帰仁城跡は、琉球が北・中・南部に分かれていた三山時代の北山王の主城で、城壁の高さは3~8m、長さは1.5km にもおよび、首里城とほぼ同規模のグスクです。 城壁を有する城としては、日本最古と言われ中国や東南アジアの陶磁器が多量に発掘され、交易もあった記録も残っているそうです。 世界遺産の銘板。奥には巨大な城壁が続いています。
2009年12月20日
by マサオ
今帰仁城跡内には2つの御嶽があります。 一つ目は大庭の北西部にある「ソイツギ」。『琉球国由来記』にある「城内下之嶽」という御嶽で、神名は「ソイツギノイシズ御イベ」。 二つ目は御内原の林の中にある「テンチジアマチジ」。『琉球国由来記』にある「城内上之嶽」という御嶽で、神名は「テンツギノカナヒヤブノ御イベ」。城内で最も崇高な場所とされ、男子禁制の御嶽です。 ソイツギ(城内下之嶽)とテンチジアマチジ(城内上之嶽) カラウカー また、大庭の南部の隅にある「カラウカー」も香炉が置かれ、拝所となっています。「カー」は井戸や湧き水をあらわす言葉で、火の神に対して、カラウカーを水の神と呼ぶこともあるそうです。
2009年12月20日
by マサオ
今帰仁城跡の近隣には「クバの御嶽(クボウ御嶽)」があります。山の全体が御嶽とされ、琉球神話で「アマミキヨ」が作ったとされる、「琉球開闢七御嶽」の一つです。 今帰仁グスクからクバの御嶽を望む
2009年12月15日
by マサオ
首里城の守礼門と歓会門との間に園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)があります。また、石門と周辺一体の森のことを総称して園比屋武御嶽といい、石門はこの御嶽の礼拝所になります。 園比屋武御嶽石門 園比屋武御嶽は、国王が首里城を出て各地に巡行する祭に安全を祈願した拝所です。王府の行事で、東方の拝所を巡礼する「東御廻り(アガリウマーイ)」や、琉球国最高位神女・聞声大君(きこえおおぎみ)の即位式の際にも最初にここでお参りし、「斎場御嶽(せーふぁうたき)」へと向かったとされ、国家行事や祭祀と密着した重要な御嶽になります。 沖縄観光で首里城を訪れた際には、旅行の安全を祈願されてみたらいかがでしょうか。
斎場御嶽は、沖縄開闢神(りゅうきゅうかいびゃくしん)の「アマミキヨ」が作ったとされる国はじめの七御嶽の一つで、沖縄本島における最高の聖地です。 今では男女に関係なく入ることができますが、かつて琉球の御嶽はその全てが男子禁制で、斎場御嶽では庶民は入口の「御門口(うじょうぐち)」を越えて進入することは許されず、国王であっても御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったといいます。 御門口(うじょーぐち) 駐車場に車を止め、御門口を通って御嶽の中に入って行きますが、地面が沖縄でよく見られる石畳になっていて、滑りやすく歩きにくいですのでヒールやサンダルは避け、スニーカー等の歩きやすい靴で行くのがオススメです。
勝連城跡は琉球王国が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した阿麻和利(あまわり)の居城でした。阿麻和利は琉球王国に最後まで抵抗して首里城を攻めましたが大敗し、逆に首里軍に攻められて落城し、勝連城も廃城となったと言われています。 小高い丘の上に、巨大な勝連城跡の城壁が見えます 勝連城跡の標高は約60m~98m。総面積は11,897㎡。城壁は、自然の地形を巧みに利用しながら、石灰岩の石垣をめぐらせており、低いところから順に三の曲輪、二の曲輪、一の曲輪という場所になっています。