2010年1月13日
by マサオ

城(グスク)とは

沖縄には城(グスク)と呼ばれる建造物や遺構がたくさんあります。地理的には奄美諸島から先島(宮古・八重山地方)までの琉球列島全域に分布しており、その数は200から300と推定されています。 グスクには首里城をはじめ、座喜味(ざきみ)城跡、今帰仁(なきじん)城跡、中城(なかぐすく)城跡などの大型のものから、具志川(ぐしかわ)城跡や玉城(たまぐすく)城跡など比較的小規模なもの、また御嶽(うたき)のような森になっているものなど、さまざまな形態があります。

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2009年12月31日
by マサオ

首里城跡(守礼門~奉神門)

沖縄でもっともメジャーな観光地の一つがこの首里城跡です。 世界遺産に登録されたグスクの中でも一際、目立っているのがこの首里城跡で、首里城の建設時期は定かでないですが、尚巴志が琉球を統一した頃には、すでに歴史の表舞台に登場していたとされています。その後、450年近く琉球王国の政治、外交、文化の中心地となりました。 なお、現在の首里城は、第二次世界大戦時にアメリカ軍の攻撃により全焼したものが1992年に復元されたもので、2000 年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されています。 守礼門と歓会門 守礼門が首里城の入り口となります。なお、守礼門と歓会門の間に世界遺産の園比屋武御嶽石門があります。 瑞泉門と漏刻門 漏刻門の正面には日影台があり、那覇の街が一望できます。 日影台と日影台から那覇の街を見下ろした光景 瑞泉門⇒漏刻門⇒広福門と進んでいくと下之御庭(しちゃぬうなー)という場所に出ます。ここには首里城正殿に入るための券売所があります。 広福門と奉神門 奉神門よりも奥が有料エリア(■大人800円■高校生600円■小中学生300円)となります。また、この下之御庭には首里森御嶽(すいむいうたき)があります。 それぞれの門の説明は首里城の公式サイトに掲載されています。 ⇒首里城公園オフィシャルサイト

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2009年12月31日
by マサオ

首里城跡(御庭~正殿)

奉神門をくぐると、いよいよ首里城の正殿が見えてきます。奉神門より前の記事はこちら⇒首里城跡(守礼門~奉神門) 首里城正殿は琉球王国最大の木造建築で、その装飾は絢爛豪華です。随所に配置される龍は国王の象徴とされ、大龍柱(だいりゅうちゅう)と呼ばれる一対の見事な石柱や屋根上の棟飾り、唐破風(からはふ)などに33体棲んで(施されて)います。 御庭と正殿(左側は修復中) 御庭で催事が行われている様子の模型 正殿前は御庭(うなー)と呼ばれる広場で、年間を通じて様々な儀式が行われた場所です。 御庭には磚(せん)というタイル状の敷き瓦が敷かれており、色違いの列は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていたそうです。中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者等、限られた人だけが通ることを許されました。 首里城は、南殿⇒正殿⇒北殿の順で見学します。正殿には御差床(うさすか)と呼ばれる玉座などがあり、煌びやかな琉球王国の文化が楽しめます。 御差床1階と御差床2階 1階の御差床の奥に国王専用の階段(おちょくい)があります。国王はその階段を使って2階から御差床に出御するそうです。とても絢爛豪華な意匠で、琉球文化の極みといった印象を受けました。

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2009年12月20日
by マサオ

今帰仁城跡(なきじんぐすく)

今帰仁城跡は、琉球が北・中・南部に分かれていた三山時代の北山王の主城で、城壁の高さは3~8m、長さは1.5km にもおよび、首里城とほぼ同規模のグスクです。 城壁を有する城としては、日本最古と言われ中国や東南アジアの陶磁器が多量に発掘され、交易もあった記録も残っているそうです。 世界遺産の銘板。奥には巨大な城壁が続いています。

2009年12月20日
by マサオ

今帰仁城跡内の御嶽(ソイツギ・テンチジアマチジ)

今帰仁城跡内には2つの御嶽があります。 一つ目は大庭の北西部にある「ソイツギ」。『琉球国由来記』にある「城内下之嶽」という御嶽で、神名は「ソイツギノイシズ御イベ」。 二つ目は御内原の林の中にある「テンチジアマチジ」。『琉球国由来記』にある「城内上之嶽」という御嶽で、神名は「テンツギノカナヒヤブノ御イベ」。城内で最も崇高な場所とされ、男子禁制の御嶽です。 ソイツギ(城内下之嶽)とテンチジアマチジ(城内上之嶽) カラウカー また、大庭の南部の隅にある「カラウカー」も香炉が置かれ、拝所となっています。「カー」は井戸や湧き水をあらわす言葉で、火の神に対して、カラウカーを水の神と呼ぶこともあるそうです。

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2009年12月15日
by マサオ

玉城城跡(たまぐすく)・天つぎあまつぎの御嶽

玉城城跡は別名「アマツヅグスク」とも呼ばれ、琉球開闢神「アマミキヨ」が築いた、沖縄でもっとも古い時期のグスクだといわれています。 また、東御廻りの巡拝地の一つであり、城跡内にある「天つぎあまつぎの御嶽」は、琉球七御嶽の一つでもあります。 玉城城跡の石碑と案内板。

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2009年12月11日
by マサオ

勝連城跡(かつれんぐすく)

勝連城跡は琉球王国が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した阿麻和利(あまわり)の居城でした。阿麻和利は琉球王国に最後まで抵抗して首里城を攻めましたが大敗し、逆に首里軍に攻められて落城し、勝連城も廃城となったと言われています。 小高い丘の上に、巨大な勝連城跡の城壁が見えます 勝連城跡の標高は約60m~98m。総面積は11,897㎡。城壁は、自然の地形を巧みに利用しながら、石灰岩の石垣をめぐらせており、低いところから順に三の曲輪、二の曲輪、一の曲輪という場所になっています。

2009年12月11日
by マサオ

勝連城跡内の御嶽・拝所(玉ノミウヂ御嶽・肝高の御嶽)

勝連城跡内には数多くの御嶽や拝所、井戸があります。 一の曲輪の中央部にある玉ノミウヂ御嶽と三の曲輪にある肝高の御嶽 二の曲輪にある勝連城の守護神が祀られたウシヌジガマの拝所と左隣にある拝所 このウジヌシガマの洞穴と、玉ノミウヂ御嶽の洞穴は繋がっているらしいです。また、井戸跡も数多く残っています。

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2009年12月1日
by マサオ

中城城跡(なかぐすくじょう)

中城城は、勝連城主の阿麻和利を見張るため、琉球王の命令により座喜味城主で築城家として知られる護佐丸が移り住んだ城です。北中城村から中城村にわたる標高167メートルの高台に、東北から南西にほぼ一直線に連なる6つの城郭からなる巨大な城です。 このグスクは沖縄戦の戦禍も免れ、沖縄県内でもっとも原型を留めた城として人気があります。面積は約122平方メートルにおよび、広大で見所が多いグスクです。また眺望の地として有名で、城跡に立つと東に中城湾(太平洋)、西に東シナ海を望み勝連半島、知念半島、さらに周辺の洋上の島々までも見渡すことができるそうです。 世界遺産の銘板と 管理事務所(チケット売り場)先の坂を抜けた所にある広場